金銭とイメージ能力
2005年 03月 09日
(本日は「である、であった調」での書き込み)
この世に発生する問題の80%は金銭で解決することが出来るのでは無いか?と本気で思っている。
残りの20%は金銭で買うことのできないものなのであるが
今の資本社会に於いて、金銭ほど簡単に「自由」と「権力」へ変えられるものは他に無いと思う。
犯罪で捕まっても、金銭で解決しようとする人が居る。
金銭のためなら大きな犯罪を無理してでも犯してしまう人が居る。
この世に発生する犯罪の多くは金銭のトラブルが原因であり
実際、この世には金銭の所有力で人間の価値を決めてしまおうとする水臭い風潮さえある。
薬品が手に入るだけで病から助かることのできる人たちがたくさん居る。
でも、その薬品を買うお金が無く、助かりたくても
たったそれだけの理由で死を覚悟せざるを得ない人たちの方が、この世にはずっと多い。
例え、その薬品の在庫が有り余っていたとしても
販売側は金銭として売らなければ経営が成り立たず、タダで渡すことができないのだ。
常々日常を金銭の奴隷として生きるだけの人生では本当に息が詰まってしまう。
自然界は弱肉強食の世界であると言われているが、それは人間界でも大して変わりはない。
金銭によって喰ったり喰われたりしてしまう構図は日常茶飯事であるからだ。
こんなに科学文明が進化した社会であっても
金銭の社会構図は昔ながらに一極集中型を好み、古風な構図を真似て進化が遅い状況にある。
最低限度、人間らしい生活を送るために金銭は必要であろう。
しかし金銭とは所詮、金銭で買える何か「別のモノ」を得る為の道具に過ぎない。
金銭はその付加価値によってカリスマを保っているのであり
決して金銭そのものに力がある訳では無い。
金銭の付加価値に付いては個人さまざまであると思うが、金銭を利用することで
自ら好ましい生活方法を選択できる自由を手に入れやすいことは確かなようだ。
金銭があれば自らの生活を理想的に自己プロデュースすることが出来る。
それらの理想を脳に描くイメージ力は金銭では買えない、個人の才能に付随するだろう。
ところで仏国のスーパー、カルフールが日本を撤退することになってしまったようだ。
海浜幕張店に時々買い物へ行くことがあったが
売場を壁ごとに寸断すること無く、ワンフロアに展示する独特の販売方法や
ローラースケートを履いて立ち回る若い店員の姿が印象的だった。
ただスーパーである為、販売されているモノの多くは他のスーパーでも簡単に手に入り
売場の斬新なイメージに比較すると、どこか物足りなかったのかも知れない。
撤退に関しては個人的に少々寂しい気はしている。
この結果が最初から判っていたなら、初めから日本へ出店することは無かっただろうし
先が読めないからこそ出店への決意が固められていたのだと思うと、無常さえ感じる。
しかし人類は脳に夢を描きイメージしながら、常々新しい世界を創造してきた。
これは簡単に金で買うことのできない人間だけの素晴らしいイメージ能力であり
これからももっと活用されるべきであると、私は思っている。
by popwindy
| 2005-03-09 16:41
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